一瞬

今年で22になる。
自分もいつの間にか、気がつけば社会に出る日がもうすぐに目の前に迫っている。
先日、友達のマンションで友達と夜遅くまで話し込んでしまった。柿ピーのようなおつまみに日本茶で、気がつけば時計は夜中の3時を回っていて、男2人で酒も抜きで何してんだって笑いつつそいつの家を後にした。
なんでもない一日。
なんでもない出来事。
なんでもない一言。

今年に入って、どこか、いつだったか、仲間内で集まっていたときに、ふと誰かが昔話をしだした。
どんな内容だったかは覚えていないが、どこにでもある小学生生活の1ページのような話だったと思う。
その流れで、小学生だったときは、こんな風に「あのときさ...、」なんてその頃を思い出す日が来るなんて考えもしなかった。いや、考えはしただろう。けれどもその一瞬が楽しくて充実していて、そんな”時の流れ”だとか歳をとることだとか、ましてや将来の邂逅、だなんてことは青春真っ只中の自分たちには重すぎて、軽すぎて。ふと頭の隅をよぎることはあったけれど、かといってそこに居座る事もなく、気付かぬ間にそんな考えは泡みたいに消えていってた。

それが最近は変わったと思う。
居座ることなく消えていったはずのその思いは、実は消えることなくその存在を増して、いつのまにか来て見ぬフリもできないまでになっている。
小学生の頃だけじゃない。それは中学生の頃でも、そしてつい最近のことのようにも思われる高校生活の記憶まで、いつの間にか自分の頭の中では”懐かしいあの頃”とラベルが貼られ、いつの間にか”現在”とはちがう引き出しにしまいこまれている。鍵のついていない現在の引き出しではなく、ふとしたことや昔の友達とあったときにしか鍵がみつからない引き出しの中に。

こんな事もあった。
中学生の頃、国語の授業で、なんらかの事情で離れる事になった友人同士が10年後に会う約束をする、という話を読んだ。
実はあまり内容は覚えていない。けれども、約束を覚えていた二人が無事会えることになった結末に触発されて、その頃特に仲の良かった9人で、「じゃ10年後の今日、この駅の階段のところでまた会おうぜ!」なんてふざけて無邪気な約束をしたことを覚えている。
約束した当時は14歳、10年後といえば24歳で、いつの間にかその"10年後"が着実に近づいている。
あの頃の自分には10年後なんて想像できないくらい遠くて、非現実的で、それが今ではそんな事を言っていた中学生の頃が非現実的にさえ感じられるようになってしまった。

青春はいつから始まって、いつ終わるんだろうか。
こんなことを考えている時点で青春なんてとっくに過ぎ去っているのか、それともこんな事を考えているうちはまだまだ青春してるくらい青臭いのか。
あのときの10年後がくるその時には、それはもう終わっているんだろうか。